一言の重み


月曜日。怒涛の2006年日本のうたごえ祭典inふくい・北陸祭典からあけて翌日。少し遅めに出勤した日。けだるい体に鞭を入れて駅に向かう途中、今年で81歳になる祖母の友人にばったり出会った。


僕がまだ小さかったとき(だから20年くらい前?)に、よく可愛いがってくれたその女性は、すっかりお年をめしていらして、頭なんかもう真っ白になっていた。僕が「こんちは!」って昔みたいに挨拶したら、その人も久しぶりだけど昔と変わらない優しい笑顔で返してくれた。


出勤時はいつもピリピリムードで、しかめっ面で、不機嫌な感じなんだけど、その日はそんなこともあって気持ちがすごくあったかくなれた。気持ちよく職場に行くことができたんだ。
そして昨日の出勤時。久しぶりに祖母と会話をした。「今週は久しぶりがつづくものだ」と感心していたら、嬉しい報せがあったのだ。以下、祖母との会話。


祖母「この前●●さんに会ったでしょ?」
僕「おぉ、会ったよ」
祖母「●●さんが、『こんなお婆ちゃんに挨拶してくれて本当に嬉しかった。生きてて良かった』って感謝してたよ」
僕「そんなことくらいで?」
祖母「ばかね! 私らにとってみれば、若い人に挨拶してくれるなんて本当に嬉しいことなのよ」
僕「ホントに?」
祖母「ホントよ」


いまの世の中、その一言一言、誰にどんな言葉をどんなふうに投げるのかが重要なんである。だから、一言で救われたり優しくなれたりあったかくなれたりすること、この前の月曜日みたいな出来事って大切だ。言葉と表現の暴力が蔓延し、言葉や表現の仕方ひとつで罪のない命が奪われているいまだからこそである。