さとにきたらええやん

大人も子どもも生きることの「つらさ」「きびしさ」「楽しさ」は一緒。様々な境遇をもつ登場人物から、現実との向き合い方を教えてくれる作品。
もう少し定点観測的なシーン、フィックスカットがあっても良いかなと感じた。けれど、そうした「手の問題」にいかないことが、終始撮り手の目線になって、「さと」に集まる人をみることができる。きびしく、つらいなかでも、笑い、楽しむ人間の強さを感じる良作。

現場が一番!――今年「初歩き」のその後

昨日予告のとおり、きょうは、立川、調布、狛江の平和行進に同行。雨が断続的に降るなかだったけれど、曇天が功を奏したのか暑さはたいして感じなかった。もちろん、高まり、まとわりつくような湿気には勝てず、歩き出し一分でナイアガラ級に汗が出てくる出てくる。
砂川学習館前を出発した立川行進は、地域をぐるっとまわり立川駅近くの立川相互病院前まで同行。天候、日時などもあいまって活気あふれる行進とは言えなかったものの、新たな出会いもあった。後日詳しく書こうとは思うけれど、印象深いのを一つ二つ。
東京-広島コースの途中、静岡県内行進にフル参加した女性の話。背中に「核なき世界をめざして 畑田重夫」と、達筆で書かれたTシャツを着ている彼女。静岡県行進には「ひょんなことから」十三日間歩くことに。
県内行進初日の出発式に九四歳の国際政治学者、畑田さんが行進団を激励するために来たとき、思い切って声をかけたらこころよく書いてもらったのだという。「人生でも、平和活動でも大先輩に背中をぐいぐい押されているようで、十三日間楽しく歩けた。帰ってきて二ヵ月後に『核兵器禁止条約、国連で採択』の報道があって、これは絶対にTシャツを着て立川での行進に参加しようと決めたんです」。
もう一人は、八七歳の男性との話。反核平和活動には七〇年近くとりくんでいるという大ベテラン。反核活動の原点は一九五〇年の「ストックホルム・アピール」署名だった。世界五億人近区集まったこの署名運動。五〇年当時、彼は、なんと僕の地元品川区に住んでいて、職場の仲間のすすめからこの活動に参加したという。「小学校の運動会の会場前とか、商店街一軒一軒まわった。それが原点で、ずーっと歩き続けてるんです」。
調布、狛江の行進でもいくつかエピソードがあるけれど、それはまた後日。
名前も年齢も知らなかったお二人のエピソードを聞いて、やっぱり、現場が一番なんだなとあらためて思った。というお話。

今年初歩きの国民平和大行進へ

核兵器廃絶を訴え、東京広島間を中心に毎年全国各地で展開される「国民平和大行進」。
東京も、五月六日の出発、七日に神奈川へ引継ぐだけでなく、七月は北海道からの行進団からバトンを受け、都内を網の目のように歩く行進がある。その「網の目コース」のなかでも、個人的に毎年注目していた陸上自衛隊立川基地を通る行進が、きょう明日行われる。また、明日は、府中、調布、狛江の三つの市を結び、初めて世田谷区につながる行進もある。
諸般の事情から今年参加(取材)はまだできていない。この二つの行進を「初歩き」としてチョイス。参加する人や沿道の人たちの声、そこで歌われる歌、鳴らされる音楽にもたくさん触れてこようと、現在就寝準備に入っている。

はだしのゲンが見たヒロシマ上映会

映像作家、著作家、石田優子さんのデビュー作にして、漫画家中沢啓治さんの遺言的作品、ドキュメンタリー「はだしのゲンが見たヒロシマ」。そして、同作を小学校教材用に再編集した「はだしのゲンが伝えたいこと」。この二作品の上映会が、この夏、広島と東京で開かれる。
なかなかメディアに顔を出さなかった中沢さんが、最後の一滴まで絞りきるように話す姿を、新鮮にうけとめ、あたたかくとらえた同作品。現在は、フリーとして活動する石田監督の、被写体を丸ごと受け止めて「ともに」発信していく作風は、その後の著書「広島の木に会いにいく」にもあらわれているように感じる。
とにかく、そんな監督のトークもあるこのイベント。全国民必見です!
#はだしのゲン #中沢啓治 #石田優子 #SIGLO

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■日程 7月22日(土)18:00〜
    上映前に石田監督と渡部プロデューサーによる舞台挨拶あり。          
■会場 映像文化ライブラリー2階ホール
    住所:広島市中区基町3-1
■お問い合せ 広島市立中央図書館
       TEL:082-222-5542
■備考 入場料:大人380円、シニア(65歳以上)180円、平成生まれ無料

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■日程 7月29日(土)14:00〜          
■会場 広島市舟入公民館
    住所:広島市中区舟入川口町2番8号
■お問い合せ TEL:082-295-5003
■備考 入場料:無料

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はだしのゲンが伝えたいこと」上映
■日程 8月13日(日)
■会場  東京都稲城市にて
■石田監督による挨拶があります。詳細はおってお知らせします。
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地獄のバスターズ


Quel maledetto treno blindato - Francesco De Masi - 1977

味方だったはずの人たちにもクズ扱いされ、四方八方敵だらけ。ひとときの安らぎさえも許されない。そんな経験、生きていたら誰だってある。そんなダメな現状をとにかく突破するために、撃って撃って撃ちまくる。そうしているうちに、なんだか良いことが舞い込んでくるのだろう。もちろん、代償は大きいけれど…。
イタリア戦争アクション映画地獄のバスターズ」はそんな愛すべきB級作品。無茶苦茶だけど、なんだか芯は外れていない。タランティーノが「オマージュ」するだけある。
原題は「QUEL MALEDETTO TRENO BLINDATO」。直訳は「ダメージを受けた鉄道」だそうです。

この女性、タダ者じゃない!

今朝、某病院の待合室で隣同士になった女性の残した“辞”が、ずっと頭から離れない。

「死ぬも地獄、生きるも地獄」
ゆりかごから墓場までお金がかかる」
「友だちとは『体がどんなふうになろうと、死ぬときまでトイレは1人で行きたいね』って話してるんです」

時間にすれば十五分程度。なのに、こんなに“辞”を残すなんて、タダ者じゃない。
人生は一期一会。僕は仕事柄、いろいろな人やものと出会うけれど、こういうことは初めて。
と、そんなことを考えていると、窓口から「○○さーん」と彼女を呼ぶ声。彼女は、一足先に診察を受けに行った。

ようやくわかったヤっさんのお説教

「作品は背負うもの」−これは二〇年前、専門学生時代に講師ヤっさんからもらった言葉。子どものころや学生時代に大人に教えられたことは、体にしみこん(しみついて)でしまうもの。昨夜、十二年前に撮影・編集したある劇団の公演DVDを何気なく観直して、この言葉を思い出したのだ。
十二年前、映像に関わることに限界を感じていたこと。仕事は気軽な撮影バイト程度。自主制作作品なんてできないと、他人の作品に協力スタッフ的に入るのがやっとの状態だったことを思い出した。その原因の一端がこのDVD制作だ。
撮影時、若く、社会的に超未熟児だった僕。いろいろな方面に迷惑をかけてしまったばかりか、撮影的にも、編集的にも、制作的にも「お粗末」で、頼んでいただいた劇団員さん(地元の先輩)から「これからがんばればいいよ」と慰められる始末だった(クライアントから慰められるなんて今考えるだけでゾッとする)。これ以降、ちゃんと編集したというのは五年前の友人のライヴだった。それくらい、とにかくダメダメだったのだ。
その、ダメダメっぷりは映像・編集に如実にでている。劇団の稽古にはりついて撮影していたにもかかわらず、舞台進行をまったく意識していないカットが目立つ。何でこの場面でこの役者に寄るのか。逆に寄らないのか、何でこの場面で全景を撮らないのか。メイキングでは云々…。もう挙げたらキリがない。笑うしかない。笑った。
でも、もうDVDとして、作品として残ってしまっている。僕の脳内や記憶は自分勝手にすり替えることはできても、出回ってしまっているDVDはすり替えることはできない。作品というのはそういうものなんだろうなと考えていたときに、冒頭の言葉に戻る。作品は背負うもの。過去を背負いながらつくりつづけることでしか活路は見いだせない。
ヤっさん! 二〇年経ってようやくわかったよ。