「標的の島 風かたか」


ポレポレ東中野で観賞。沖縄の現実は、日本の現実に直結する。宮古石垣島で進められているエアシーバトル戦略。米軍は、自衛隊は、何を守り、何を標的にするのか。基地ゲート前での機動隊と反対派との対峙。基地建設のための住民説明会での賛成派と反対派との対立。日本人同士が「他国の基地建設」という壁で分断させられている。、ていて胸が痛かったけれど、これが現実なんだろう。東京だって、オタオタしていられない

さようならグリーンプラザ新宿

東京・新宿、“もっとも眠らない町”歌舞伎町。そのど真ん中に、労働者や観光客の憩いの場として親しまれている一軒のカプセルホテル&サウナがある。その名は、「グリーンプラザ新宿」。創業三四年ということは僕の“4コ下”ということになる。
僕とグリーンとの出会いが何年前だったかは忘れてしまったけれど、新大久保の職場で働きはじめて何年か経ったころだったと思う。職場関係で知り合ったセンパイに連れられて行ったのが始まり。最初は、サウナで仮眠をとるなんて僕には縁のない話だと思っていたけれど、使ってみると過ごしやすい。
お世辞にも綺麗とは言い難い仮眠室ではあるけれど、都会のど真ん中の施設にしては風呂やサウナの種類が豊富で露天風呂もある。都会の夜空を見上げながら風呂に入っていると、昼間の喧騒が湯気と共に空へとけてゆく。
風呂上がりは、食堂へ。酸っぱいだけが取り得のレモンサワーと冷やしトマトやコロッケをやる。そしてマンガを読みたければ仮眠室となりの漫画ルームへ。至高の時間がそこにあるのだ。
その魅力に一晩でとりつかれてしまった僕は、月二〜三のペースで通いつめた。マッサージの店員さんたちには名前を覚えられていたほど。
そんなグリーンが今年の一二月二五日、三十四年の幕を閉じることになった。
いてもたってもいられなかった僕は、その情報を知ってから週一から週二、ひどいときには週三のペースで通い詰めた。なんだろう、自分の家がなくなってしまう感覚に襲われてしまったのだろうか…。
閉店前日、街がクリスマス一色に包まれた二四日、「浮いた予定」が全くない僕はラストチェックイン。もう、酸っぱいレモンサワーも、力まかせの足つぼマッサージも、大浴場も、露天風呂も楽しめなくなると思うと、残念でならない。
また、グリーンのようなリーズナブルで暮らしやすいサウナを探さなきゃいけないと思うと、面倒くさいなと思う。でも、終わりは何かのはじまり。そう信じて、楽しめるだけ楽しんだ。

永源遥さん

元プロレスラーの永源遥さんが、十一月二八日、自宅で倒れ亡くなった。七〇歳だった。
東京プロレス日本プロレス新日本プロレスジャパンプロレス全日本プロレスプロレスリング・ノア……六団体を人脈と頭脳で渡り歩いたプロレス人生。
僕がプロレスを本格的に観るようになったのが小学五年生。一九八九年。全日本プロレス中継。当時は、前座の試合は数えるほどしか放映されず、その勇姿を観ることができたのは“新春バトルロイヤル”だった。
動きは俊敏というよりはちょこまか。甲高い声ととともに、ハンセンらにちょっかいをだし、トップロープに登るもデッドリードライブされる。
甲高い声。結局飛ばないトペ。相手の背中をマットにこすりつけるような、ジャイアントスウィング。武道館だろうが、ドームだろうが、唾は2回まで。というのが、定番のムーヴだった。
政界にも、“あっちの方”にも顔がたち、猪木さん馬場さん三沢さんという日本プロレス界を代表する男たちの名参謀として“暗躍”。
選手引退後は、“黒いつながり”事件で責任をとり取締役を辞任するも、ノアを、プロレスを見限ることなく、脇で支えつづけた。
永源さん、お疲れさまでした。

 派遣国家

「覇権国笑えぬ我が国派遣国」

南スーダンへの自衛隊「駆けつけ警護」は楽観的過ぎる
PRESIDENT Online
http://president.jp/articles/-/20735

いまさらな報道だけれど、そう思う。「国の法律のために」国民を危険に晒すこと、派遣することって民主国家の在り方なのだろうか。

 カジノフォーリー

ボードビリアンのバロンさん主宰のカジノフォーリーズ千秋楽を観に、山手ゲーテ座へ。そういえば、バロンさんのライブに初めて行ったのもゲーテ座だったな。
クラウンのラブリー恩田さん、スウィングバンドClap Stomp Swingin'を引き連れ、笑いと哀愁と多幸感に満ち溢れ、新たな出会いもあったショウに大満足。
アキレス腱断裂から見事復帰のラブリー恩田さんは、体調不良で活動休止されたチェリー・タイフーンさんという方の代役だったみたいだけど、ずっと前からメンバーとともに各地をまわってきたかのような出で立ち。
Clap Stomp Swingin'もオシャレで一度聴いたら体を揺らさない様にするのが大変なくらいなスウィングを聴かせたと思ったら、巷で大人気のフリースタイルラップまで披露。関西発のスウィングバンドに出会えたことも嬉しかった。
そんな一癖も二癖もある客演陣をひきつれているにもかかわらず、飄々とボードビルの世界観を作り出すバロンさんはもはや、いちボードビリアンではおさまりきれぬ芸人になっていた。どこか悲しく寂しいバロンさんの演奏は健在。ウクレレってあんなに寂しい音色が出るんだって思った。
年内、も一度バロンさんと恩田さんのライブを観に行こう。夢を見るなら素敵な夢に限るからね。