山本小鉄

 新日本プロレスリング株式会社・山本小鉄顧問が、8月28日(土)午前6:42に低酸素性脳症(ていさんそせいのうしょう)により、お亡くなりになりました。享年68歳。 
 山本小鉄さんは1941年10月30日、神奈川県横浜市出身。1963年1月に日本プロレスに入門。星野勘太郎さんとのヤマハ・ブラサーズで活躍。1972年3月には、新日本プロレス旗揚げに参加した。
 1980年4月に現役を引退後は、コーチとして後進の指導にあたり、“鬼軍曹”と呼ばれる熱血指導で数々の名選手を生み出した。また『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)のテレビ解説者としても活躍し、当時・実況を担当していた古館伊知郎氏との名コンビでも知られる。
 近年は、J SPORTS ESPN 新日本プロレス中継の解説を担当するなど、多方面で活躍していました。
 謹んでご冥福をお祈りします。
 新日本プロレスリング株式会社

 昨夜いきなり僕の目の前に飛び込んできた訃報。三沢光晴さんが亡くなったときと同じくらいの衝撃と信じられなさがある。
 今朝買った「日刊スポーツ」の記事によれば、2週間前は打ち上げで生ビールをジョッキ十杯のみほし、先週は道場でバーベルトレーニングをしていたという。やっぱり信じられない。
 小鉄さんの現役時代を知らない僕だけど、一九九二年「超戦士in横浜アリーナ」、ヤマハブラザース一夜限りの復活はよく覚えている。十分一本勝負で、ブラックキャット(故人)・山本(現、天山)広吉組と戦った試合だ。天山になる前の山本はまだまだヤングライオンで体格も細かった。だから、ビルドアップされた小鉄さんが目立っていた。トップロープからのボディーアタック、一瞬の丸め込みなど小気味よいレスリング。単なるリバイバルにさせないところに小鉄さんの意地を見たものだった。
 また、今や「歴史上のできごと」になりつつある伝説の九五年「10・9新日本プロレスVSUWFインターナショナル全面対抗戦」(東京ドーム)ではレフェリーとしても活躍。鬼軍曹として、Uの選手が「仕掛け」ないかもちゃんとチェックしていた。
 僕のプロレスの先生は、「ワールドプロレスリング」では小鉄さん、「全日本プロレス中継」では馬場さんだった。この技はどこがきまっていて痛いのか、この選手は次にどう動いたらいいのか…。二人はプロレスの見方を教えてくれた。小鉄さんの「辻さんねぇ…」の口調がなぜか心地好くて好きだった。
 練習の虫で、メジャーインディー問わずがんばっている若い選手が好きで、何よりアントニオ猪木新日本プロレスが大好きで、縁の下の力持ちとしてずっとがんばってきた小鉄さん。こんなに早く旅立ってしまうなんて夢にも思わなかっただろう。明るい性格で元気印の小鉄さん。天国でラッシャー木村さんやブラックキャットさんらとプロレス界を見守ってくれているはずだ。
 早すぎる死に、合掌。