ソーシャルディスタンスって何だ?!

仕事柄、ことばには敏感であるべきと心がけている。新型コロナウイルス禍のなか、世間一般「ソーシャルディスタンス」とか、「ソーシャルディスタンスをまもる(たもつ)」ということばが使われ出し、五カ月ほどがたつ。なんだか違和感がある表現だと感じていた。なんとかこのもやもやから解き放たれたいと、早稲田大学英語サークル出身の実父にぶつけてみた。父は、建設会社で二十五年間中東アジアや南米での仕事を経験、脱サラ後は赤十字スタッフになり海外支援活動に五年間従事。ことばで渡り歩いてきたベテランはこの違和感をどう思うのか…。

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私 「ソーシャルディスタンスをまもる」ということば(表現)にかわることばをご教示いただきたい。「~をまもる」という表現で本当に良いかどうか。また「フィジカルディスタンス」ということばについても。
父 私がsocial distancingという言葉を初めて知ったのはトムハンクス夫妻がオーストラリアでがコロナに感染して、その後、帰国するときの記事です。practice social distancing という言い方で、意味は、ワクチンや治療法の無い感染症の拡大を防ぐために、distance(物理的距離)をとるという医学的用語です。一方、social distance という言葉は物理的距離ではなく人と人との心理的距離、親密さ、を意味します。ですから、正しくは、social distance(人間関係)は保ちつつ、social distancing(物理的には離れて)いましょう、ということ。たしか、誰か、俳優か政治家(英語圏の)がそういう言い方をしていたような記憶があります。
social=社会的となったのは明治維新時の翻訳で多分、福澤諭吉。あなたの違和感は正しい違和感ですが福澤先生を責めてはいけません。ここ数十年、外国映画の邦題をそのままカタカナですませてしまう(しかも間違った省略をしたり)ツケがここにも現れたわけです。ソーシャルディスタンシングは長いからソーシャルディスタンスにしてしまった、日本でしか通じない和製英語です。
私 では、「フィジカルディスタンス」については?
父 フィジカルディスタンスは和製英語ではありません。そのまま物理的距離の意で通じます。日本語であの人とはちょっと距離をおいて付き合った方が良い(要するにあまり親しくならないほうがいい)なんていいますが、英語のディスタンスもまったく同じように使います。
フィジカルは、物理的な肉体的な、ですよ。ディスタンスにそういう心理的距離の意味が含まれるということ。私は彼女とは付かず離れず、は、I keep my distance from her.カタカナ語はなるべく漢語かやまとことばにしたいものです。適当な日本語が見つからなければ「…(原語の仮訳)」とでもしておきましょう。正確というのが良い文章の基本なのではないでしょうか。
私 ありがとうございました。[了]