永源遥さん

元プロレスラーの永源遥さんが、十一月二八日、自宅で倒れ亡くなった。七〇歳だった。
東京プロレス日本プロレス新日本プロレスジャパンプロレス全日本プロレスプロレスリング・ノア……六団体を人脈と頭脳で渡り歩いたプロレス人生。
僕がプロレスを本格的に観るようになったのが小学五年生。一九八九年。全日本プロレス中継。当時は、前座の試合は数えるほどしか放映されず、その勇姿を観ることができたのは“新春バトルロイヤル”だった。
動きは俊敏というよりはちょこまか。甲高い声ととともに、ハンセンらにちょっかいをだし、トップロープに登るもデッドリードライブされる。
甲高い声。結局飛ばないトペ。相手の背中をマットにこすりつけるような、ジャイアントスウィング。武道館だろうが、ドームだろうが、唾は2回まで。というのが、定番のムーヴだった。
政界にも、“あっちの方”にも顔がたち、猪木さん馬場さん三沢さんという日本プロレス界を代表する男たちの名参謀として“暗躍”。
選手引退後は、“黒いつながり”事件で責任をとり取締役を辞任するも、ノアを、プロレスを見限ることなく、脇で支えつづけた。
永源さん、お疲れさまでした。