作品について語るということ

今日はなんだかんだで1時帰宅。仕事自体は19時で終わった(厳密に言えば終わりはなく中断したというのが正しいか?)のだが、そこから会議(と言っても20時〜のは打ち合わせ的なもの、21時〜はいわゆる機関会議。レベルデルタ級である)が2本入っていたのだった。

そんなこんなでビデオ屋に行く体力と気力がなかったため、本当にしかたなくWOWOWでやっていたShall we dance?を観た。評価はヒドイものなのだが、作品について「語る」ということについて考えさせられた。以下レビュー文。


ハッキリ言って笑えない。そして、つまらない。「WOWOWで良かった」と思った。

ご存じ、周防監督のヒット作「Shall we ダンス?」のリメイクと言うウリなのだが、どう考えても「リメイク」とかという括りではなく、ただのコピー映画。

それにしても、コピーならコピーらしい「味」があって当然なのだが、この作品にはそういった「味」は皆無で、ただ淡々とストーリーをこなしているだけの“ルーティーン映画”

いわゆる「アイドル映画」や「タイアップ映画」と言われる作品にも、監督やスタッフの映画的遊び心や作家性をうまく入れ込んでいる。だから映画として成り立つのである。映画として作品を撮っているという気概みたいなものは、この作品には全くもってない。また、この作品の存在意義すらわからなくなってしまう。どんなつまらない映画でも存在意義はある。しかし、これはただ舞台設定や人種を役柄設定を変えただけの金のかかったお遊戯にしか見えなかった。キャスティングもあり得ない。松本人志風に言うところの「ありえへん」。

Shall We Dance ?(初回限定版) [DVD]

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これだけ酷評した映画は、海外モノは初めて。よって★はゼロにしたいところだが、1つ。悔しいが、たくさん「語った」映画なのである。
作品について評価はどうであれ「語る」ということは、創り手としては嬉しいこと。そして観る側としても、観る幅が広くなる。次回以降は「語るということ」について考えてみたい