はだしのゲンが見たヒロシマ上映会

映像作家、著作家、石田優子さんのデビュー作にして、漫画家中沢啓治さんの遺言的作品、ドキュメンタリー「はだしのゲンが見たヒロシマ」。そして、同作を小学校教材用に再編集した「はだしのゲンが伝えたいこと」。この二作品の上映会が、この夏、広島と東京で開かれる。
なかなかメディアに顔を出さなかった中沢さんが、最後の一滴まで絞りきるように話す姿を、新鮮にうけとめ、あたたかくとらえた同作品。現在は、フリーとして活動する石田監督の、被写体を丸ごと受け止めて「ともに」発信していく作風は、その後の著書「広島の木に会いにいく」にもあらわれているように感じる。
とにかく、そんな監督のトークもあるこのイベント。全国民必見です!
#はだしのゲン #中沢啓治 #石田優子 #SIGLO

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■日程 7月22日(土)18:00〜
    上映前に石田監督と渡部プロデューサーによる舞台挨拶あり。          
■会場 映像文化ライブラリー2階ホール
    住所:広島市中区基町3-1
■お問い合せ 広島市立中央図書館
       TEL:082-222-5542
■備考 入場料:大人380円、シニア(65歳以上)180円、平成生まれ無料

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■日程 7月29日(土)14:00〜          
■会場 広島市舟入公民館
    住所:広島市中区舟入川口町2番8号
■お問い合せ TEL:082-295-5003
■備考 入場料:無料

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はだしのゲンが伝えたいこと」上映
■日程 8月13日(日)
■会場  東京都稲城市にて
■石田監督による挨拶があります。詳細はおってお知らせします。
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地獄のバスターズ


Quel maledetto treno blindato - Francesco De Masi - 1977

味方だったはずの人たちにもクズ扱いされ、四方八方敵だらけ。ひとときの安らぎさえも許されない。そんな経験、生きていたら誰だってある。そんなダメな現状をとにかく突破するために、撃って撃って撃ちまくる。そうしているうちに、なんだか良いことが舞い込んでくるのだろう。もちろん、代償は大きいけれど…。
イタリア戦争アクション映画地獄のバスターズ」はそんな愛すべきB級作品。無茶苦茶だけど、なんだか芯は外れていない。タランティーノが「オマージュ」するだけある。
原題は「QUEL MALEDETTO TRENO BLINDATO」。直訳は「ダメージを受けた鉄道」だそうです。

この女性、タダ者じゃない!

今朝、某病院の待合室で隣同士になった女性の残した“辞”が、ずっと頭から離れない。

「死ぬも地獄、生きるも地獄」
ゆりかごから墓場までお金がかかる」
「友だちとは『体がどんなふうになろうと、死ぬときまでトイレは1人で行きたいね』って話してるんです」

時間にすれば十五分程度。なのに、こんなに“辞”を残すなんて、タダ者じゃない。
人生は一期一会。僕は仕事柄、いろいろな人やものと出会うけれど、こういうことは初めて。
と、そんなことを考えていると、窓口から「○○さーん」と彼女を呼ぶ声。彼女は、一足先に診察を受けに行った。

ようやくわかったヤっさんのお説教

「作品は背負うもの」−これは二〇年前、専門学生時代に講師ヤっさんからもらった言葉。子どものころや学生時代に大人に教えられたことは、体にしみこん(しみついて)でしまうもの。昨夜、十二年前に撮影・編集したある劇団の公演DVDを何気なく観直して、この言葉を思い出したのだ。
十二年前、映像に関わることに限界を感じていたこと。仕事は気軽な撮影バイト程度。自主制作作品なんてできないと、他人の作品に協力スタッフ的に入るのがやっとの状態だったことを思い出した。その原因の一端がこのDVD制作だ。
撮影時、若く、社会的に超未熟児だった僕。いろいろな方面に迷惑をかけてしまったばかりか、撮影的にも、編集的にも、制作的にも「お粗末」で、頼んでいただいた劇団員さん(地元の先輩)から「これからがんばればいいよ」と慰められる始末だった(クライアントから慰められるなんて今考えるだけでゾッとする)。これ以降、ちゃんと編集したというのは五年前の友人のライヴだった。それくらい、とにかくダメダメだったのだ。
その、ダメダメっぷりは映像・編集に如実にでている。劇団の稽古にはりついて撮影していたにもかかわらず、舞台進行をまったく意識していないカットが目立つ。何でこの場面でこの役者に寄るのか。逆に寄らないのか、何でこの場面で全景を撮らないのか。メイキングでは云々…。もう挙げたらキリがない。笑うしかない。笑った。
でも、もうDVDとして、作品として残ってしまっている。僕の脳内や記憶は自分勝手にすり替えることはできても、出回ってしまっているDVDはすり替えることはできない。作品というのはそういうものなんだろうなと考えていたときに、冒頭の言葉に戻る。作品は背負うもの。過去を背負いながらつくりつづけることでしか活路は見いだせない。
ヤっさん! 二〇年経ってようやくわかったよ。

ヤクザと憲法


共謀罪法が施行されたら、この作品も「証拠」になって、すぐに逮捕できてしまうんだろうなぁ。作品中、大阪・通天閣付近の居酒屋女将の「警察は何守ってくれんの? 何も守ってくれん。 何かあったときには駆けつけてくれる警察。でも、コトがおさまったらそれっきりや」という言葉が考えさせられたし、キーワード。「今の」ヤクザが善いと言いたいわけではない。「悪いこと」をしたら捕まえなければいけないし、罪を償ってもらい、再犯しないでもらいたい。けれど、「何も」していないのに存在そのものを「犯罪」扱いするのは民主国家としてどうなんだろう。
良い作品に出会えた感動よりも、そのことで頭がいっぱいになり眠れなくなった。

東京都議会議員選挙


本日七月二日は、東京都議会議員選挙の投開票日。
朝一番(七時〜)で投票しようと早起きするも、いろいろもたついて半ごろになった。
築地市場豊洲移転、都立夜間定時制廃止問題、オスプレイ配備、羽田超低空飛行、特定整備路線……。いろいろと「洗濯」し直さなければいけない問題がたくさんある東京都議会。それもこれも「都民の選択」次第。

お後がよろしいようで。