この女性、タダ者じゃない!
今朝、某病院の待合室で隣同士になった女性の残した“辞”が、ずっと頭から離れない。
「死ぬも地獄、生きるも地獄」
「ゆりかごから墓場までお金がかかる」
「友だちとは『体がどんなふうになろうと、死ぬときまでトイレは1人で行きたいね』って話してるんです」
時間にすれば十五分程度。なのに、こんなに“辞”を残すなんて、タダ者じゃない。
人生は一期一会。僕は仕事柄、いろいろな人やものと出会うけれど、こういうことは初めて。
と、そんなことを考えていると、窓口から「○○さーん」と彼女を呼ぶ声。彼女は、一足先に診察を受けに行った。
ようやくわかったヤっさんのお説教
「作品は背負うもの」−これは二〇年前、専門学生時代に講師ヤっさんからもらった言葉。子どものころや学生時代に大人に教えられたことは、体にしみこん(しみついて)でしまうもの。昨夜、十二年前に撮影・編集したある劇団の公演DVDを何気なく観直して、この言葉を思い出したのだ。
十二年前、映像に関わることに限界を感じていたこと。仕事は気軽な撮影バイト程度。自主制作作品なんてできないと、他人の作品に協力スタッフ的に入るのがやっとの状態だったことを思い出した。その原因の一端がこのDVD制作だ。
撮影時、若く、社会的に超未熟児だった僕。いろいろな方面に迷惑をかけてしまったばかりか、撮影的にも、編集的にも、制作的にも「お粗末」で、頼んでいただいた劇団員さん(地元の先輩)から「これからがんばればいいよ」と慰められる始末だった(クライアントから慰められるなんて今考えるだけでゾッとする)。これ以降、ちゃんと編集したというのは五年前の友人のライヴだった。それくらい、とにかくダメダメだったのだ。
その、ダメダメっぷりは映像・編集に如実にでている。劇団の稽古にはりついて撮影していたにもかかわらず、舞台進行をまったく意識していないカットが目立つ。何でこの場面でこの役者に寄るのか。逆に寄らないのか、何でこの場面で全景を撮らないのか。メイキングでは云々…。もう挙げたらキリがない。笑うしかない。笑った。
でも、もうDVDとして、作品として残ってしまっている。僕の脳内や記憶は自分勝手にすり替えることはできても、出回ってしまっているDVDはすり替えることはできない。作品というのはそういうものなんだろうなと考えていたときに、冒頭の言葉に戻る。作品は背負うもの。過去を背負いながらつくりつづけることでしか活路は見いだせない。
ヤっさん! 二〇年経ってようやくわかったよ。
攻殻機動隊‐新劇場版
ゴーストを信じろ。未来をつくれ。−「全身義体」だから重みのある言葉に聞こえるんだろう。
「仕事人(仮)」その2
ベトナムの人は、真面目で働き者といいます。この店の店員もそう。でも、今夜は店の前まで、ということで。